桜、雨乞い
ひらりと薄紅色が空中を舞う。雨に濡れて水面へと落とされていく其れに、己と彼の姿を重ねる。誰も居ない湖の畔、桜色が疎らに散る澄んだ水にそっと指先で触れればゆらりと映る己の姿が揺れて。頬を伝ってぽたりと水面に落ちた滴が水の向こうに存在する己を掻き消した。
ぼうっと窓の外を眺める。何日か前からしとしとと降りだした雨は止む気配を少しも見せない。梅雨ではないというのに、連日続く雨のせいで気分も少し沈みがちになってしまう。溜め息を一つ零して、クローンは寝転がっていたソファーから上体を起こして身体を伸ばす。一時間程前に買い物に行くと言って出て行った己の恋人――黒を待ちながら、早く彼に会いたいと思った自分に相当だなと思いつつ再び外を見やる。雨は激しくなる一方で、なかなか帰って来ない黒が段々心配になって。
(……何か、あったんじゃないだろうか)
たかが一時間、されど一時間。何時もより彼が欲しいという欲が強いのを雨のせいにして、頭の中で思考を巡らせる。そういえば黒が出掛ける時雨は降っていただろうか、黒は傘を持って行ったのだろうか、危ない目にあっていないだろうか、考えれば考える程良くない方向に進んでしまう己の思考に己は母親か、と苦笑した。其の時、玄関の方で扉を開ける音がして。
「ただいま……」
玄関に足を向ければ、ずぶ濡れになった黒の、少し青い顔が其処にあった。
*/*/*
はあはあと荒い息を吐く黒の額に濡らしたタオルを乗せる。あの後直ぐに風呂に入らせたが、彼は案の定風邪を引いてしまった。布団に横たわる彼の様子をちらりと見て、クローンは慌てて立ち上がる。目を閉じた黒の、熱のせいで上気した頬は赤く色付いて半開きの唇からは熱っぽい息が吐き出され、まるで情事の時の様な表情に理性を保てるか不安になったからだ。
(…………ほんと、馬鹿だ俺)
病人相手に欲情するなど。
*
「ん…………、ふ」
そっと己の其れに指を這わせながら目を閉じる。ソファーに凭れ掛かりながら頭の中に浮かぶのは黒の悩ましげな表情で。
「……は、あ」
熱い息を吐きながら、自身の昂りを刺激していく。心の中で何度も黒の名前を叫びながら。嗚呼、愛しくて堪らない、俺の、俺だけの――。
「……クロ」
「!」
ふいに聞こえた彼の声。恐る恐る振り向いてみれば、やはり黒が立っていた。ふらふらと覚束無い足取りで此方に歩み寄り、どさりと己に覆い被さる形で倒れてきた彼。彼の身体の熱さに慌てながら彼の肩を掴んで如何した、と問う。
「クロ……身体が、熱いよ…………」
眉根を寄せて切なげな顏をする黒。当たり前だ熱があるんだから、早く布団に戻れと言いたいのに。
「…………なんとか、して……」
熱を孕んだ声で耳元でそんな風に呟かれたら、我慢出来ないではないか。
*
布団に横たえた黒の身体をゆっくりと撫でる。なるべく彼の身体に負担をかけない様に、優しく丁寧に。小さく声を漏らす彼の首筋に唇を這わせて赤い華を咲かせ、所有の証を刻み込む。荒い息を吐く黒の薄く色着いた唇に接吻してやれば、彼は自ら己の首に腕を絡めてきて。彼の身体の上を踊る指が、彼の敏感な場所を捉えた。
「あ……ッ!」
途端に上がる甘い声。胸で懸命に主張している其処を執拗に愛でていき、他の部位には接吻を。堪え切れないとでもいう様に喘ぎを零す恋人をそっと抱き締めて、ごめんな、と囁く。
「黒、愛してる」
そう口にして、先の愛撫で十分潤った其処を己の愛で貫いた。
*/*/*
鳥が鳴いている。チュンチュンと小さく、それでもはっきりと。その声に誘われる様にすうと瞼を持ち上げる。身体が怠くて重い気がした。心無しか全身が火照っている様に感じて。かたりと小さな音がして其方に視線を向ければ其処には薄紅色のエプロンを着けて小型の鍋を乗せた盆を持った黒が。
「黒……?おま、けほっ」
口を開いた途端に乾いた咳。これは完全に黒の風邪を貰った様で。ゆっくりと布団から上体を起こして彼を見ると、黒は頬を淡く染めてご飯を持ってきたと呟く。
「なあ、黒」
「……何?」
俺が座っている布団の側に正座して盆を畳に置く黒に俺は口角を上げ。
「食べさせて」
と、一言要求した。
「……!」
数秒して意味を理解したらしい黒が頬を真っ赤にする。何度か口をぱくぱくと開いたり閉じたりした後、蚊の鳴く様な声でクローンの馬鹿と言い、鍋の中身をスプーンで掬って俺の前に差し出した。其れを口に含んで咀嚼する。
「…………どう、かな」
不安そうに聞いてくる黒の頭を優しく撫で、俺は微笑んだ。
「うん、美味しいよ黒」