狂い花
さわり。心地良い風が吹いて、ふわりと桜の花弁が宙を舞う。季節ではないのに咲き乱れるそれが、酷く眩しくて。幹に手のひらを当ててそっと目を閉じる。
「だーれじゃ!」
閉じた目の上に優しい温もりと、背後から慣れ親しんだ声。
「……辰馬」
口角を上げながら答えれば、正解じゃあ、なんて言いながら笑う少年。彼は俺の目の上から手を外すと、風に踊る薄紅色を見て感嘆の溜め息を吐いた。
「狂い咲きってやつかのう」
そう呟いて桜を見上げる辰馬までもが霞がかかったように見えて。このまま彼が光に掻き消されてしまうのではないかと柄にもなく不安になった。
「……なあ、辰馬」
「なんじゃ?」
薄紅から視線を外し、柔らかい笑顔で此方を見る彼。ああ、なんて。なんて眩しいんだろう。するりと彼の手を取り、つま先を伸ばして背伸び。そのまま彼の無防備な唇にそっと己のそれを押し付けた。すぐに離したそこに残ったのは一瞬の温もり。これで大丈夫。こうして己の証を少しでもいい、彼に刻みつけておけば。彼はきっと己の事を忘れないでいてくれるだろう。しかも今は戦争中だから、いつ命を落としてもおかしくはないのだ。だから、戦のない時にそっとこうして。
「………………」
はてさてどうしたものか。自分で行動を起こしておきながら、辰馬の顔をまともに直視出来ない。恐らく耳まで真っ赤になっているであろう己の顔を俯かせる事で彼から隠してはいるものの、彼からしてみれば急に施された接吻である。そもそも俺達はそのような関係ではないし、その前にお互い同性に対して恋愛感情を覚えるような特殊な嗜好の持ち主ではない。ならば何故接吻などしてしまったのか。自分でもよく分からないまま、彼にそのような行為をしてしまった事が恥ずかしい。
「…………おまん……」
「!」
びくりと肩が震える。軽蔑、するだろうか。それとも……。
「……好きなら好きと言えばえいがじゃ」
彼の言葉に弾かれたように顔を上げて目を見開く。目の前には眉をハの字にして優しく笑っている彼の姿があった。
「おまん、わしの事好いちゅうんじゃろう?」
「え……」
彼がくすりと笑って俺を抱きしめた。彼にしては珍しい静かな笑い方。ふわり、また一片薄紅が舞った。
「知っちゅうよ、おんしがわしを好いちゅう事も、わしがおんしを好いちゅう事も」
彼が耳元で発した言葉の意味を理解するのに数秒。そして、まるで火が着いたように頬が熱くなるのを感じた。それは、つまり……。
「まっこと愛しちゅうよ、銀時」
先程の触れるだけの短い空っぽの接吻ではなく、想いの籠った優しくも熱いそれにふいに涙が零れた。彼の背中にしがみ付く手には彼の温もりが溢れていて。ああ、幸せだ。
「決めた、わしゃ宙に行くぜよ」
「こんな戦はいたずらに仲間死ににいかせるだけじゃ」
「わしゃもう仲間が死ぬとこは見とうない」
そう言って彼が戦争を抜け旅立っていったのは、その翌日の事だった。
「……馬鹿辰馬」
彼を、引き留められなかった。けれど、あの時彼に己の証を刻み付けておいたから。だから、俺は俺でいられる。けれど、どうしてだろう。唇に刻まれた彼の証が、今にも消えてしまいそうで怖いのは。
「……早く、帰って来いよ」
そう呟いて、未だに咲き誇っている桜を見上げる。風に煽られて薄紅がまた空へと舞い上がった。