Aizen

花氷

 銀時は、帰って来た。約束通り、歌舞伎町に。

 紅花が咲き乱れる。足元で揺れる鮮やかな黄色は、青く澄み渡る天を唯仰ぎ見ていた。
「僕達みたいだと思わない?」
 膝を折って地面にしゃがみ込み、黄色に触れていた新八がぽつりと言葉を落として。其れに一度瞬きをして彼の方を見た神楽が、一瞬考える様な仕草をしてからそうアルな、と声を紡ぐ。  例えるならば、地に咲いている花は新八や神楽。何処までも青い空は己等が焦がれているあの銀色。どんなに手を伸ばしても、声を投げても。彼は肝心な所で微笑んで、全てを誤魔化して其の胸の内へと隠してしまう。そして、最後には全てを一人で背負い込み、自分達を置いて何処かへと其の姿を眩ませてしまうのだ。
「……ほんと、馬鹿だよあの人は」
 ぽきり、と軽い音を立てて触れていた紅花を手折り、指でくるくると回して弄ぶ。少し熱を持った初夏の風が辺りを駆け抜け、新八と神楽の髪を僅かに擽ってゆっくりと消えていった。
「でも」
 風が消えたのとほぼ同時に、まだ幼さの残る声が鼓膜を揺らす。
「そんなどうしようもない馬鹿だから、私達はずっと一緒にいるネ」
 神楽の呟きに、新八はほんの少し目を細めてそうだね、と囁く様に声を零した。

   *

 荒い息が部屋に木霊する。身体に負った無数の怪我のせいで、銀時は熱を出していた。彼が横になっている布団の横、桶の中に張られた水に手拭いが浸かり、ちゃぷりと音を立てて波紋が広がる。
「全く、年寄りに世話焼かせるんじゃないよ」
 ぶつくさと文句を言いながら、お登勢は桶の中に沈んだ手拭いをすいと持ち上げて絞り、畳んで銀時の額の上に乗せて。
 あのはた迷惑な親子を和解させた後にふらりと倒れた銀時は、今までの苦労が祟ったのだろう、目を覚ます様子は全く見受けられず。
「……」
 玄関の直ぐ外、階段を上ってくる二つの足音を聞きながら、彼女は苦しそうに眉根を寄せる銀色に向かって呟いた。
「あんまりあの子達に心配かけさせるんじゃないよ、この馬鹿息子」
 其の言葉が聞こえたのか聞こえていないのか、お登勢の目には銀時の表情がほんの少しではあるが和らいだ風に見えた。

   */*/*

 夏の虫が耳に心地良い旋律を奏でる。蚊取り線香の煙の匂い、身体から滲み出て布団に僅かに染み込んだ汗、本のページを捲る乾いた音。
 嗚呼、これは幼い頃の記憶。己は、夢を見ているのだろう。目を開けずとも分かる。幼い己の側で本を読んでいるのは――。
「……銀時?」
 鼓膜を揺らした全てを諭す様な優しくも力強い声。
(せんせい……)
 瞼を持ち上げたいのに、持ち上げられない。まるで彼の姿を目に焼き付けるのは許さないとでもいう様に、己の其れは頑なに動く事を拒否していて。
「寝てしまいましたか……」
 松陽の腕が、指が、己の髪へと伸びる。ふわりと壊れ物を扱う様な手付きに、ぴくりと投げ出した手の平が震えた。
「銀時、御前はもう少し……周りに頼る事を覚えなさい」
 大丈夫、誰も御前を傷付けようだなんて思ってませんから。
 そう小さく囁いた後、彼が穏やかな微笑みを浮かべた様な気がして。瞼の裏、何も見えない暗闇の先を悠然と歩く松陽に腕を伸ばし掛けて、己の意識は一気に深海へと引き摺り落とされた。

   */*/*

 ふっと瞼を持ち上げる。視界に飛び込んだ光が眩しく感じて反射的に目を閉じ、少しずつ目を開けていき。
「…………」
 如何やら瞳を刺激した光は開け放たれた窓から差し込んできている太陽の光の様で。ふう、と息を吐いて視線を横に滑らせれば、白が己の視界を遮る。
(何だ……?)
 其れに触れて持ち上げてみれば、正体は水気を含んだ手拭いであった。そういえば、身体が重くて怠い気がする。意識ははっきりとしているが。もう一度息を吐いてみれば、其れには熱が籠もっていて。身体を支配する熱さが、喉を通して吐き出された気がした。
「あ、銀さん。起きたんですか」
 背後から投げられた声に顏を動かして其方の方を見てみれば、救急箱を手にした眼鏡の少年――新八が立っていて。彼の後ろには、何かを抱えた神楽が。
「新、ぱ……かぐ、ら?」
 熱のせいなのか暫く飲み物を摂取していなかったせいなのか、己の口から出た声は酷く掠れていて。畳に膝を突いて救急箱を置いた新八に背中を支えられながら上半身を起こした己は、未だに霞が掛かる視界を鮮明なものにしようと瞬きを数回繰り返し。
 神楽から手渡されたコップの中に入った水をゆっくり喉に流し込むと、なあ、と再び言葉を紡いだ。
「……何ですか」
 返って来た返事は、何時もの新八の声。けれど、違う。普段の呆れた様な優しさは含まれておらず、代わりにとげとげとした冷たさが滲んでいた。如何して彼がそんな状態なのか分からず、隣にいる神楽に視線を投げるも、彼女まですいと己から目を逸らしてしまう始末。
「…………」
 気まずい沈黙が流れる。そんな中で、己の身体に巻かれた包帯が新八の手によって新しいものへと取り換えられていき。一言も発さずに換えられた其れは、何処かひんやりとしている様に思えた。

「……銀さん」
 暫く手持ち無沙汰でぼうっとしていると、ふいに新八が言葉を紡いで俺の鼓膜を刺激した。
「……何」
 初めに発した声とは違う、はっきりとした声音で問えば、彼は顏を俯かせて呟く。
「……もっと、僕達の事……信じて下さい」
「……信じてるよ」
 新八の言葉に瞼を伏せて答えれば、小さな高い声が耳に届いた。
「……なら、もう私達置いてどっか行っちゃわないでヨ」
 待ってるだけなんて御免アル。
 俯いて表情が窺えない神楽。そんな彼女に向かって腕を伸ばし、其の頭を優しく撫でてやる。そうすれば、彼女は顏を上げ、透き通った青い目に雫を溜めて銀ちゃん、と己の名を口にして。
――嗚呼、心配をかけすぎてしまったか。
 そう心中で呟いて、ごめんな、と言葉を紡ぐ。
「……銀ちゃんの馬鹿」
「嗚呼」
「僕達がどれだけ心配したと思ってるんですか……」
 俺と神楽のやり取りを見守っていた新八も声を出す。今にも泣き出しそうな、けれど其れを隠す様に少し震えた声。
(……本当に、此奴等は)
「ごめんな」
 俯いて嗚咽を漏らす二人の、其の温かな手の平に己の其れを重ねて。彼等の涙が、何故だか羨ましく思えた。

   *

「なあ、其れ何だ?」
 二人が落ち着いた頃、先程から気になっていた神楽が抱えている物の正体を問うべく口を開く。俺の問いに、嗚呼これですか、と新八が口元に笑みを浮かべて。
「銀さん見た事ありません? 花氷ですよ、花氷」
「花氷……」
 神楽が自慢げに差し出してくる其れをじいと見つめる。透き通った氷の塊の中心で、紅花が静かに其の身を浮かせている様は何とも神秘的で儚いもので。これを見ていると、気分だけでも肌に纏わり付く暑さから逃れられそうだ。
「最近暑くなってきたでしょう? 僕達が摘んできた紅花を見て、お登勢さんが作ってくれたんですよ」
「摘んできたって……一体何処から」
「銀ちゃんには内緒アル!」
 持っていた花氷を少し離れた場所に置いた神楽が満面の笑みを浮かべて言う。
 何だそれ、と苦笑を浮かべながら呟けば、怪我人は寝てるヨロシ、と布団の上へと身体を倒されてしまい。はいはい、と言えばはいは一回でしょ、と新八に呆れた様に言われてしまう始末。
(――嗚呼)
 これだ。俺達三人は、これ位が丁度良い。
「お粥作ってあるんで持ってきますけど、今食べられそうですか?」
「無理なら私が食べてあげるネ!」
 立ち上がって台所に足を向けた新八と神楽が俺に向かって声を投げる。それに、俺は口元に微笑みを浮かべて彼等に向かって言葉を紡いだ。
「苺粥だろうな、手前等」

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