迷い桜
誕生日、などというものを祝う暇など無かった。否、正確には暇が無いのではない。己がただ祝って欲しくなかっただけであった。毎日誰かが死んでいく戦において、どうして己が命を授かった日を祝って欲しいなどと思える。だが、それをはっきり口にしたにも関わらず、あの三馬鹿は毎年俺の部屋に入ってきては酒を呑んで騒ぐだけ騒いで挙句その場で寝息を立てやがる。いくら言っても聞かない奴らだととうに理解しているから、俺は何も言わず奴らをそのまま放置して今宵も布団に入るのだ。
二、三年程前から毎年この日に決まって夢を見る。女物の派手な着物を緩く着こなし、右手で煙管を弄ぶ隻眼の男が暗闇の中に浮かぶ月を見上げている。はらはらと舞い散る桜の花弁が男を取り巻いて、そのまま男は何も言わずに儚く消えてしまうのだ。その背中は何かを俺に訴えようとして諦めたかのような雰囲気を纏っているから、どうもやるせない気持ちになる。今宵も同じだろうと思いつつ男の背中を見つめていると、ふと男が此方を振り返った。その顔を見て僅かに目を見開くが予想は出来ていたので然程驚きはしなかった。
「……よォ」
例え男が俺と同じ声、同じ仕草、同じ顔だったとしても。
「……未来の俺、か」
「分かってるじゃねェか」
男は喉を鳴らして笑い、紫煙を吐き出すと俺に向けて憐れむような、それでいて羨むような視線を投げた。
「手前、誕生日を祝われるのが嫌なんだろう」
「……ああ」
すっと目を細めて口角を上げる俺に、男―未来の俺はその手に持った煙管を暗闇の中へ落とすと、大きく俺に近付いてそのまま俺の肩に手を置き耳元で囁いた。
「今の内に祝われておきな」
その言葉にばっと後ろを振り向くが、未来の俺はふっと風が吹くようにそのまま消えていってしまった。男が唯一残した物は、暗闇の中で淡く光を纏う一本の煙管だけ。俺はそれを拾い上げると、ギリ、と歯を食い縛り、低く唸った。
「なんだってんだよ……!」
あの言葉が意味している事は唯一つだと理解出来てしまった。そして、その意味が示す己自身に降りかかる未来も察してしまった。だが、それが何だというのだ。彼は俺に何をして欲しいのか。生憎だがこの俺に未来を変えるなどという芸当は出来ないから、俺はあの男の望みは叶えてやれない。
「悪ィな」
確かに俺は心の奥底では孤独を嫌って仕方無いさ。だが、あの人がいない世界など存在するに足りるだろうか。いくらあの馬鹿共がいるからと言ってもあの人がいないのでは話にならない。だから俺は未来の己自身から何を言われようとその足を止めはしない。
「後悔、なんざしねェよ」
己の選択に、間違いこそあれど引き返す道などないのだから。俺は手にした煙管を懐に仕舞い、すっと目を閉じた。ざあ、と己を取り巻く風を感じつつ、頬に伝うそれを気のせいだと思い込むことにして。
幕府軍に追われ、鬼兵隊が粛清の憂き目にあい壊滅したのはそんないつもとは違う夢を見た翌日のことだった。
銀文どっとねっとの再走さんへ。