Aizen

そして、終焉を捧げる。

 唯の気紛れ、だったのかもしれない。


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 水面を薄紅色が滑る。大きな桜の木を映し出す其れは、ゆらりと小さく揺れて映るもの全てに波紋を与える。変わる事は罪では無いと諭す様に、穏やかに語り掛けるのだ。
「……まるで、貴様の様だな」
「……何が」
 目の前で桜を眺めている銀色に聞こえない様に、本当に小さく呟いたつもりだったが、彼の耳には届いてしまったらしい。首を傾げて此方に視線を向ける彼に、何でもないと言葉を紡げば、彼は頭に疑問符を浮かべながらもそう、とだけ囁いてまた桜に視線を戻す。
 深い闇色に染まる空に浮かぶ大きな月が俺達を見下ろす。恐らく目の前の銀色も己と同じ人物を月に重ねているのだろう。けれど、過去に想いを馳せる事は許さぬとでも言う様に雲が其れを覆い、瞳に映る金色を霞ませる。
(…………気に食わぬ)
 口には出さずに心の中でそう呟くと、俺は桜の花弁に囲まれて儚い笑みを浮かべる銀色の肩を掴んで此方を向かせて触れるだけの接吻を与えた。此の銀色が、今にも消えてしまいそうに見えたから。
「…………」
 直ぐに唇を離したけれど、銀色は僅かに目を見開いて此方を凝視したまま固まっていて。そんな彼に溜め息を一つ吐いて彼の耳元で彼の名を囁いた。
「……白夜叉」
 そうすれば彼はぴくりと肩を震わせ、其の名前はあんま好きじゃねェんだけどな、と苦笑を漏らして。
「知らぬ。何時までも固まっている貴様が悪い」
「酷ェな……朧」
 己の名前を紡いだ銀時に、俺は再び唇を重ねた。今度は触れるだけの軽いものではなく、もっと深いものを。
「……ん」
 朧、と合わせた唇の隙間から銀時が切なげに声を零す。嗚呼、そんな風に名前を呼ばれたら止まらなくなってしまうではないか。
(…………馬鹿者め)
 心中で悪態を吐き、息が続かなくなった銀色が己の胸を掴んできたところで唇を離し、彼の目尻に滲んだ涙を指で掬って銀時から距離を取る。物欲しげな視線だけで俺を追い駆ける彼に僅かに口角を上げた。一瞬だけ見せた俺の表情に、銀時は酷く驚いた様で。
「朧……手前」
「白夜叉」
 困惑した様な声音で紡がれる銀時の言葉を遮る様に俺は口を開いて彼に背中を向ける。
「俺はもう行かねばならぬ……次会う時はお互い敵同士なのだ」
 下らぬ情など捨てろ、此の俺相手に情など必要無いだろう。まるで自分自身に言い聞かせる様に呟いた。そう、坂田銀時相手に情など一切必要無いのだ。先代の時代ではあったが、俺は彼の師を殺した組織の者。間接的にではあるが彼の師――吉田松陽の死に関係してしまっている以上、俺は銀時から憎まれるべき存在なのだ。愛情どころか好意さえ求めてはならない存在。伸ばしかけた腕を下ろして歯を食い縛る。こんな時は如何すれば良いのだったか。
(…………松陽)
 頭の中に浮かんだ優しげな笑顔を浮かべる松陽の横顔と、今己の側に居る銀時の横顔が重なって見え、俺は僅かに頭(かぶり)を振って其れを打ち消した。
「なあ、朧」
 背後から己を呼ぶ声。声音こそ違えど、穏やかな音は松陽の其れと似通っていて。嗚呼、そんな所でも彼は生きているのかと思い知る。ゆっくりと振り向けば其の紅玉の瞳の奥にほんの僅か不安を孕ませる銀時が居て。
「次は……何時会える」
 彼の発した言葉に、俺は彼に近付いて其の身体を強く抱き締め、耳元でそっと囁いた。
「次など無い……此れが最後だ白夜叉」
 そして、全てを食らう様な接吻を彼の唇に落とす。んん、とくぐもった声を上げる銀時を無視し、開かれたインナーの隙間からするりと手を差し込む。其の行為か俺の冷えた手の冷たさか、或いは其の両方に驚いたのだろう、銀時が一際大きな声を上げて俺を引き離そうと乱暴に肩を掴んできた。
「…………全く、何処まで馬鹿なのだ貴様は」
 唇を離して荒い息を繰り返す彼に向かって言葉を紡ぐと、彼の其の雪の様に白い喉元に歯を立てた。


   */*/*


 薄紅色が空中を踊る。ひらりと、大きな満月の淡い光を浴びながら。たった一つの約束の為に生きた二人の最期は、とても美しいもので。汚れ一つ無い純粋な愛を、羨ましいと思った。己に静かで穏やかな愛情を与えてくれたあの人はもうこの世界に存在しない。二度と同じ愛は此の身を包んではくれないのだ。
「……なあ、朧」
 もう此の場に居ない己と同じ銀色を持つ彼に問い掛ける。
「松陽先生の最期は……どんなだった?」
 己の其の問い掛けに答える声は無く。代わりに桜の花弁が風に流されて夜空を覆った。

 此の夜が明ければ、手前はまた俺の前から姿を消すのだろう。俺の知らないあの人を知っている手前が、酷く羨ましくて憎らしい。だから、俺が激情に支配されるままに手前の心臓の鼓動を止めてしまう前に。己の魂が復讐に染まり切って本物の修羅に成り果ててしまう前に。
「早く、白夜叉を殺してくれ」
 呟いた声に、やはり答えは返って来なかった。また一片薄紅色が空中を滑り落ち、水面に静かに触れて波紋を生み出す。水面に映った己の顔が、ゆらりと揺れて儚く消えた。

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