Aizen

灯籠流し

 夏の虫が静かに鳴いている。その鳴き声は、己の心の奥底にある望みを叫んでいるようで。沢山の蛍が飛び交う川岸で、小さい灯籠を片手に抱えたまま立ち尽くす。近くを飛んだ蛍の発する淡い光が、己の頬を伝う透明な雫を照らし出した。

 あの盆祭りの晩。風と共に現れてほんの一瞬で消えてしまったあの人は、己の頭をそっと撫でていっただけで、何も語ろうとはしなかった。死者と言葉を交わしてしまっては連れていかれてしまう事は理解している。そう、頭では分かっているのに、心が、魂が、あの人の全てを求めてやまないのだ。あの人の優しい声が聞きたい。言葉を交わしたい。あの人の温もりが欲しい。あんな再会の仕方をするのならば、いっそ連れて逝って欲しかった。あの人が存在しない世界など己にとっては何の価値も無く、呼吸をする事すら堪らなく苦しいというのに。嗚呼、情けない事に涙はあとからあとから溢れて止まらない。漏れそうになる嗚咽を必死に噛み殺す。だが、いくら押さえつけようとしても身体の震えは止まらなかった。
「…………ッ」
 また一粒、涙が左目から零れ落ちた時。するりと己を背後から抱き締める温もりを感じた。
「…………」
 何も言わずに俺を抱き締めて肩に顔を埋める温もりは、間違いなく銀色の幼馴染みのもので。彼もまた、あの人を求めて泣いているのか。抱えていた灯籠を地面に落として、俺はゆっくりと身体を回して泣いている銀色にそっと口付けた。


   */*/*


「銀時、晋助。私はずっと見守っていますからね」
 そう、言っていた気がした。消える寸前にあの人が声を出さずに口だけを動かして俺達に伝えた言葉は。銀時には何と聞こえたのだろうか。恐らく己と同じだろうとは思う。だが、少し聞いてみたくなった。銀時の、魂の奥底にあるものが見たい。
「……ッ、ぎん、とき」
 荒い息に言葉を混ぜて己を組み敷いている銀色に呼び掛ける。銀色は己の首筋に埋めていた顔を上げて俺の隻眼に視線を投げた。
「……何」
 そう問いながら俺の身体に這わす手は止めない。時折するりと際疾い場所を撫ぜる為、ぴくりと身体が小さく跳ねる。
「……手前には…何て、聞こえた」
 そう口にした瞬間、ぴたりと彼の手が止まった。俺を見つめる目がすっと細められ、静かな光を宿す。が、それも一瞬の出来事で。銀時はすぐに悪戯っぽく口角を上げ、さあな、と呟くと着物の上から俺自身を膝で刺激してきて。
「う……ッ!」
 堪らず息を詰める。そんな俺の喉を甘噛みしてきたところを見ると、もう彼は最後まで止まらないだろう。束の間の快楽ではあるが、それに溺れて一時でも俺達の時間が止まるのならば。少しでもあの頃に戻れるのならば。着物を割って俺自身に直に手を掛けながら深く口付けてきた彼の首に腕を回して、俺はそっと目を閉じた。


「晋助、君は優しい子です」
 虫達の心地良い鳴き声が聞こえる縁側に座って星空を眺めている幼い俺の頭を撫でながら、あの人は目を細めて言った。
「これから先、色々な事があるでしょう。……強く、生きて下さいね」
 そう言葉を紡ぐあの人が、酷く儚く、今にも消えてしまいそうに見えて。俺は思わずあの人の袖を掴んだ。そんな俺に、大丈夫ですよ、と優しく微笑んだあの人は、月明かりに照らされてとても綺麗で。幼心に戸惑いを覚え、あの人に触れていいのか分からなくなった。
「晋助、お誕生日おめでとうございます」


   */*/*


 傷の舐め合い、と言ってしまえばそれまでなのだ。しかし、俺達の場合それだけで済まされる程簡単な話ではない。
「く……ッ、ふ…」
 地面に落とされた銀色の着流しを握り締めながら必死に漏れ出る声を噛み殺す。あの人を求めて流していた涙は何時の間にか快楽による生理的な涙に変わっていて。叩き付けられる暴力的なまでの熱をまだ足りないと喚く己の其処を制御する事も忘れ、握り締めた彼の着流しに顔を埋めた。

   *

「なあ、高杉」
 付着した砂を払った着流しを肩から掛けた銀時が、着崩れた着物を直している俺に声をかける。俺は視線だけを彼に向け、地面に落としたままだった灯籠を拾い上げた。
「それ……一緒に、やらせてくれねェか?」
「!」
 彼の言葉に僅かに目を見開く。そういえば、あの人を求めて涙を零していたのは此奴も同じだったか。懐から火種を取り出し、彼に差し出す。怪訝そうな顔をする彼に、溜め息を一つ零して言った。
「火、手前が点けろよ」
 そう言ってやれば銀色は驚いたように目を見開いた後子供のような笑顔を浮かべて、ああ、と呟いた。


   */*/*


 俺達が今から行う行為は、死人の魂を黄泉へと送る行為だ。つまり、姿は見えないが存在しているであろうあの人の魂を天へと帰すという事で。火を灯した小さな灯籠を持つ手が震える。じわりと目尻にまた涙が滲む。我ながら女々しいと思う。だが、込み上げてくるものを抑える事は今は出来そうにない。
「……先生」
 小さく呟いた俺の声が聞こえたのか聞こえなかったのか、隣に立っていた銀時が俺の肩を抱きつつ灯籠を持つ手に片手を重ねてきた。
「…………大丈夫」
 俺の耳元で囁く彼の声も少し震えていて。どちらかと言えば彼が彼自身に言い聞かせているようだった。
「……あの人は、俺達を見守っていてくれる。だから……」
 重なっている手に僅かに力が篭る。俺は静かに瞬きをして、ゆっくり頷いた。


 水面をゆっくりと滑る其れはぽつりぽつりと増えていき、やがて沢山の光となって遠い暗闇へと消えていく。その様が、暗い夜空を飛び交う蛍のように見えて。あの人は、蛍を人の魂そのもののようだと言った。それならば、たった今俺達が川へ流した物も人の魂そのものだと言えるのだろう。正確にはあれは魂送りだが、灯した火に死人の魂が宿るのならば。そう考えると、ほんの少しだが救われたような気持ちになれる。
「…………帰る、か」
 暫くの沈黙の後、銀時が俺の手を握りながら微笑んだ。俺は、握られた手と彼の顔を交互に見つめ、本日二度目の溜め息を零した。
「……奢らねェぞ」
「えー」
 口を尖らせて文句を言ってくる銀時を軽く小突いてやれば、銀時は何やらぶつくさ言いながら頭を掻き、口を開いた。
「……まあ、今日手前の誕生日だし?大目に見てやるよ」
「……相変わらずだな手前も」
 彼の言葉に喉を鳴らして笑ってやれば、彼は照れたように顔を背ける。そんな彼と繋いだ手の温もりが、酷く愛おしく感じて。そんな俺達を背後から優しく見守る魂に、俺と銀時が気付く事は無かった。

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